越後久美子さんの「できるところから始めて、形を変えていく」の話(3/5) – 育児・介護・夢
5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催していたトークイベント「働く女」。
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
1月に開催した、第7回目のゲストで自称「元祖きままかーさん」の越後久美子さんのおはなし全5回の3回目です。
今回は主婦になり、育児に介護に奮闘されている頃の話です。育児も介護もしながら、自らやりたいことにも挑戦する!パワフルな越後さんです。
前回までの分も併せてご覧ください。
第1回 3人兄弟末っ子1人娘
第2回 憧れを胸に抱えて
専業主婦になり育児と介護の日々
そうして、自分で好き好んで仕事をやめて、専業主婦になったんですけど、子どもが生まれたあとの理想と現実のギャップがすごくて、こんなに大変なんだと思いました。
夫は夫で部活を持っていたし、夜9,10時に帰ってくる生活で、しかも子どもを寝かしつけたときに帰ってくるんですよね。どこのお家でもあると思うんですけど、ただ家に帰ってきただけなのに、奥さんの機嫌が悪いという。奥さんは八つ当たりをする人がいないから、夫に八つ当たりすることになるんです。
30歳のときに長男が生まれて、それから夫のお母さんがガンになり、あっという間に亡くなってしまいました。
ガンであることが分かってから近くで過ごしたいということで、職場近くの江別から東区の夫の実家のすぐ近くに引っ越しました。お母さんも介護が必要になって、子どもを連れて実家に通っていました。
お母さんが亡くなってから、お父さんが一人になって、実家を改築して自分たちも一緒に住もうと言っていたんですけど、おじいちゃんはすでに認知症になりかけていて、身体を壊しはじめていました。
そんな最中におじいちゃんが入院して、その隙に改築をすることになりました。だけど、入院するとどんどん認知症が進むんですよね。そうしたら被害妄想がひどくて、家に帰ってきたときに「何でこんなことになってるんだ!」って。
わたしは嫁だからそんなに当たられないんですが、夫に対しては結構言っていましたね。
そうこうしているうちに33歳で2人目を妊娠しました。
その頃には、ケアマネさんが入ってくれて、「旦那さん、奥さんは2人目が生まれるのに、認知症のおじいちゃんとお子さんの世話なんてできないよ、奥さんおかしくなるよ」って言ってくれて、2人目が生まれるときにおじいちゃんを半分だまして施設に入ってもらいました。
ちょこちょこ会いに行きはしていたんですけど、お母さんが亡くなってから5年後に亡くなりました。男の人って奥さんに先に立たれると長生きしないというか、平均5年なんだそうですね。
おじいちゃんの部屋は玄関入ってすぐの部屋なんですけど、ゆくゆくはわたしに使わせてほしいなという気持ちがありました。
それで、生前でしたが、おじいちゃんのものを整理させてもらって、産後の孤立感を感じたときに、ママさんたちが授乳やおむつ替えをしながら、もっと自由に他のママさん達と交流できる場があればいいのになと思っていました。
初めて知る経営者たち
ある日、北海道新聞に掲載されていた「あなたの中で温めている、社会貢献型の、人の役に立つプランはありませんか」という記事をみつけました。福島正伸さんという方がやっているドリームプランプレゼンテーションというプレゼン大会です。
「あるある!」って思って事務局に電話をかけて、「子連れですけど説明会行ってもいいですか」と問い合わせして行きました。
そしたら単なる数字や売上で人を説得するようなプレゼンテーションじゃなくて、人を感動・共感させるプレゼンテーションを作っているようでした。
「あなたの夢が叶ったときに、誰がどう幸せになっている状態が生まれるか」というのをストーリーで描くというプレゼンテーション大会なんです。そんなの全然知らずに説明会に行って、「なんじゃこりゃ」と思ったんですけど、「エントリーしてもいいんですか」と聞いたら「是非してください」ということで、第1回の北海道のドリームプランプレゼンテーションの大会にエントリーしました。
子連れで2週間に1度の相互支援会に通いました。それまで教員だったから、経営者や起業家の方とは一切会う機会もなかったんですけど、北海道内外、結構面白いひといっぱいいるなとか、経営者ってこういう感じなのかなってそのときはじめて、自分の知らない世界に足を踏み入れたような気分でした。
それが2010年の11月です。
当時はママたちの場所が“建物”としてあったらいいなと思っていました。ハチの巣の形の建物で、映画館やエクササイズルーム、図書館などがあって、ママたちが学んだり、癒されたりするような場所があればいいなというのを発表したんです。
自分がやるというよりは、誰かやってというつもりでした。自分でやりたいけど、お金もノウハウもなかったんです。プレゼンテーション大会に出ることが目的になってしまって、そのときに動きすぎたんでしょうね、目的と手段とがぐちゃぐちゃになって動けなくなってしまって。
何か学ぶにもお金が要るし。そうこうしてる間に、2011年3月に東日本大震災が起きて、流されていくじゃないですか、ひとも建物も全て。それを見たときに、箱ものを作ってもしょうがないんだと漠然と思いました。
本はいっぱい読んで頭でっかちにはなっていたんだけど、何にも行動してなかったです。
子どもも小さいし。それが30代後半くらいです。
「あ、うちにあったわ」
ちょっと道外に行ってみようと思った時に、『七つの習慣』という本を翻訳して、日本で出版したジェームス・スキナーという方のセミナーがあるようでした。以前にたまたま体験会に行って面白かったんですよ。
当時、幼稚園児の子どもが2人だったんですけど、最初は3泊4日親に預かってもらおうと相談したんですけどダメって言われました。
でも行きたくて、近所のママ友に頼み込みました。朝、夫がママ友の自宅へ預けにいって、お友達と一緒に息子たちを幼稚園に連れて行ってもらって、幼稚園が終わってから夫が帰ってくるまで家で預かってくれたんです。
そのセミナーは千葉の鴨川で、合宿形式で行われました。そこに来ているひとたちは、自分や人生を変えたいというひとたちで、300人位いました。「なぜみなさん、ここに来たのかアウトプットしてくれるひといませんか」って聞かれた時に、折角北海道からはるばる旅費や宿泊費をかけて、子ども二人も無理して預かってもらってまで来たので、「ここでしゃべんなきゃー!」と思って、手を挙げるのがめちゃくちゃ早かったですね。
わたしには幼稚園児が2人いて、やりたいことはあるけどお金もノウハウもない。教員だから色んなことがわからなし、どうしていいかわからなくて来ましたといいました。
それから、公開セッションのようになって、緊張するし、突っ込まれるし、泣いてしまって。
「みんな理想があって一気に理想にいこうとするけどそんなの無理。このセミナーも今や300人集まって成功しているように見えるけど、最初は20何人しかいなかった。そこからアンケートを取って、改善して改善して、できることからやっていくしかない。」と言われました。
そして、「あなたは帰ってすぐ何をしますか」と聞かれたんです。
その時に、場所を借りるとか、そういう大それたことを考えていたけど、自分が置かれている状況で、無理せず、とりあえずやりながら改善していけばいいんだと思って、おじいちゃんのごちゃごちゃになっていた部屋が思いつきました。
お金をかけずにできる場所が、「あ、うちにあったわ」って感じで、自分の家で始めたのが35歳くらいかな。
元祖きままかーさん誕生
その頃はまだ、おじいちゃんは生きていたんですけど、もう自宅には帰ってこられない状況だったし、物置状態でした。
おじいちゃんが自宅に帰ってきたときのために、部屋が片付いていたほうがいいのかなと思って、夫にも聞き、片付けを始めました。
3月にセミナーから帰ってきて、5月には近所のママ友を巻き込んで、始動しました。そしたら、同じ月におじいちゃんが亡くなりました。
でも、おじいちゃんのおかげで部屋を使わせてもらって、小さな一歩を踏み出させてもらったなと思っています。
当時はmixiの時代だったので、mixiで呼びかけてみたり、最初は自分でフライヤーを作って、乳児検診の日に保健センターの前に立って配ったこともありました。だけど、誰も来なかったんです。
「火曜日と木曜日に来mamaルーム開けてます」って、誰か来ると思って自宅で張り付いていたんですけど、誰も来ない。ただの自分の読書の時間になっていて、どうしようかなって思っていました。
そんな時に、スキルを持っているママさんを講師として呼ぶことを思いついたんです。そしたら、講師の人の知り合いとこっちの知り合いとの両方が来ることになる。
きっかけがないと来られないんでしょうね。そういうことをしていたら、ぼちぼち認知度が上がっていきました。
そうやって自宅を開いて、ママたちの勉強会や座談会をやっている人が珍しかったんでしょうね。ラジオやテレビにも出させて頂きました。
最初はビジネス化できないかと考えて躍起になっていたんですけど、最近では自分のライフワークとしてやっていこうと考えています。
自分で「元祖きままかあさん」って名付けているんですけど、「わたしもやってみたい」と賛同してくれる人がいて、認定講座を開いて、今は手稲区、江別、中央区と3人の仲間がいます。
彼女たちは、自宅や会館を借りて講座などをやっています。仲間たちが何かやるときには、ホームページに情報を載せたりしています。
わたしも月に1回やるかやらないかという感じのペースで、メンバーも入れ替わり立ち代わりで、これまで「きままかーさん」になった方は延べ10人くらいです。
子どもたちの成長に伴ってママたちのニーズも変わってきて、教育費もかかるようになりますし、仕事復帰するお母さんもいらっしゃいます。それは一切引き留めないで、来るもの拒まず、去る者追わずという体制です。
わたし自身も子どもが大きくなってきて、赤ちゃんがいるママたちとはまた感覚が変わってくるから、わたしが直接会を開くというよりは、会を開いて運営する側のひとを育てるとか、一緒にやってくれるひとをみつけようと思っています。
<続く>