渡邉真琴さんの「信じ切って、気持ちをかける」の話(4/5) – がんばればがんばるほど

2019.03.31コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催していたトークイベント「働く女」
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
2月に開催した、最終回ゲストで株式会社Mako教育研究所 代表取締役の渡邉真琴さんのおはなし全5回の3回目です。
今回はUターンしてから現在までのお話です!

前回までの分も併せてご覧ください。

第1回 ハイジ時代から暗黒時代へ
第2回 自分を試したい
第3回 魂を削って

「もう絶対誰とも一緒にならない」はずだったのに!

別に彼のことは嫌いじゃないし、なんでわたしはわざわざ大変な道に自ら行くんだろうって。そのひとと一緒にいて、楽しく過ごせてるんだからいいじゃないか、なんで心がそっちにいかないんだろうって。
しばらくしんどくて、ちょっと実家にいました。でも、実家もやっぱり居心地が悪くて、すぐ仕事しようと思って、札幌で就職活動をしました。
まだ結婚していたときに時間があったので、インテリアの勉強をして、お仕事もしていたんです。
当時の実地経験があったので、ローラアシュレイに入ることができ、インテリアの仕事を始めました。
そして、札幌で2回目の結婚をします。同じ教材営業を経験していて、受容する力が強い、だけど軸がないわけじゃなくて、何か居心地がいいひとだったんですよね。
でも、わたしは離婚をしたときに、「もう絶対誰とも一緒にならない、ひとりで生きていけるようになりたい」って固く決意して過ごしていたんです。なので、彼とも付き合ってはいたけど、結婚する気は全くなかったんですよ。なのに(笑)。

不協和音の始まり

そこから子どもが生まれました。子どもは2人、9歳と7歳の女の子です。
主人も独立して、自分で会社をやるようになって、最初はよかったんだけど、だんだんよくなくなっていたんです。
その頃、わたしには子どもに行かせたい幼稚園があって、そこがちょっと保育料お高くて、月9万円くらいするんです。
いまの状態ではちょっと足りないかなというくらいだけど、お金を理由に行かせたいことややらせたいことを諦めるのは絶対にいやだったんです。
しかも、わたしは働けるひとだから(笑)。なんだ!わたしが働けば解決するなって。それで、働き始めるんです。ディズニーの英語システムのアドバイザーの仕事でした。
直行直帰の仕事なので、子どもにも負担がかからず、自分の営業経験も活かせるし、教育オタクの今までのネタも使えるので、全部活かせるし、いいなと思って。でも、どんどん家庭よりも仕事にに比重がいっていました。
わたしががんばればがんばるほど、主人の仕事がうまくいかないんです。
いつの間にか、わたしが大黒柱で働かないと家計がまわらなくなっていき、わたしが外に出れば出るほど主人は家にいて、子どもの世話をするんですよ。
違うでしょって、あなたが働いてくれさえすればいいことで、わたしは別に好んで仕事をしてるわけじゃないんだよと、最悪な不協和音が始まりました。
一昨年の年末に離婚をするっていう話だったんです、実は。
またわたしは離婚するのかと。前回とは違うけれど、本当に結婚に向いてないなとか、子どもがいてもこうなんだなとか、色んなことを考えました。
でも、わたしも主人の考えが受け入れられなかったし、わたしも納得がいきませんでした。
子どもたちには、「ごめんなさい、もうマミーのせいでパパと別れるけど、あなたたちはどっちでもいいよ。マミーのとこにいたかったらマミーのとこにいたらいいし、パパのとこにいたかったらパパのところにいきなさい。」とて言ったら「いやだー」って。3人で号泣して。
ちょっと落ち着いてから上の子が、「でもマミー、ちょっとラッキーかもしれない」って言ったんです。「だってお家が二つできるってことでしょ」って。わあ、この子すごいっていうのと、なんてこと言わせちゃったんだろうと思って、また号泣。
そのときにわたしが主人に全く未練がなかったら、子どももそう言ってくれたし、すっぱりわかれようと思えたと思うんだけど、それを聞いてわたしは「本当にごめんなさい」と思って
そこから修復の道を探そうと思い始めました。
ちょうど年末だったので、わたしたちは妹宅で実家の両親とお正月を過ごすことにしました。主人は「家を出て、会社で寝泊まりする」って言ったんですけど、会社にはお布団もないし、あんな事務所では寝れないから、家にいたらってことで別々に年末年始を過ごしていました。
お正月が明けて、わたしたちが帰ってきても家にいるんです。しばらくしても、家にいるんです。家にいるなあ、と思って、わたしも関係を修復したい気持ちがあったから、「出て行かなくてよかった」と思って。

本当にごめんなさい

その微妙な空気間の中を2,3,4月と過ごすわけです。
5月に北海道倫理法人会に入って、そこから指導を受け、「あなたが悪い、帰って旦那に謝りなさい」と言われました。
「信じてる」って表面では言っていても、信じ切ってたかと聞かれて、信じ切ってはいなかったと思ったんです。
「信じ切っていれば、旦那は絶対頑張った。信じ切らないでしゃしゃり出て、仕事仕事ってやったのは、真琴でしょ」って言われて。
それでも最初は受け入れられなかったです、そのことを。「いやいやでも、そうさせたのは主人なんですよ」って気持ちだったんだけど、聞いているうちに、そうかって腑に落ちました。
「でしゃばってごめんなさい」と謝るように言われたことがすとんと落ちて、「でしゃばってたのか?…かあ。」と。主人との関係を変えたかったから。
子どもたちも微妙な空気間の中で数か月過ごしていたので、本当にごめんなさいしかなかったから、ちゃんとしようと思って、帰ってすぐ、「本当に申し訳ありません」って謝りました。
だからって、うんともすんとも彼は言わないんだけれど、そこからわたしの倫理実践がはじまりました。
彼がでかけるときに、今まではいってらっしゃいも何にも云わなかったんです。帰って来ても「ふーん」みたいな。
そこから、でかけるときは彼がエレベーターに乗って、姿が見えなくなるところまで見送ったり、「おかえり」って言うようになりました。やめてくれも言わなかったから、別にいいんだなと思って、そうこうしてるうちに関係性も元に戻って、今日もここに送ってくれました。
それがたった半年くらい前の話です。今度は、危機を乗り越えました

<続く>

出産、社会復帰、そして離婚の危機を乗り越えた真琴さん。
本当に大変なことがあったのだなと思います。
次回は「働く」ことと「女」についてお伺いします。