橋本まほろさんの「のびのびがいい」のはなし(4/5)- らる畑は「冷蔵庫」

2018.11.16コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催している「働く女」。
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
今回は、第3回目のゲスト・橋本まほろさんのおはなし全5回中の4回目です。

第1回目 30周年を迎えるオーガニック・自然食品店「らる畑」
第2回目 思春期の流行「ノストラダムス」
第3回目 社会活動に傾倒、店にいなかった…?

今回は夢の実現、そして40代になってからのお話です。

らる畑は冷蔵庫

わたし自身調理は大したことをしないし、人参かじって「うまーい!」みたいなタイプなんだけど、とにかく軽食でも野菜炒めでも何でもいいから、うちの素材を味わえる出来上がったものを提供したいという夢がありました。
その想いを温めていたし「口に出した方がいいよ!」と言われるから口にちょっと出しながらも、妹が調理の道に入っていたので「やらないかなあ…!」と思っていました。
しかし、昔から妹は絶対店に関わりたくないと…「わたしは堅気の世界で生きていく!君たちは芝居とか八百屋とか不安定な仕事をしてるから、わたしはちゃんと就職して、そんな道には入らないよ!」みたいな。
妹はすごくきっぱりしていて、そういう話をしてもふられていたんです、何回も。
難しいかな、誰かやってくれるひといないかなと思っていたら、妹が結婚して子どもが生まれました。
家族旅行に行ってわたしがまたぶつぶつ言っていると「子どもたちのためにも食に関わる仕事大事だなって思って。お姉ちゃんが言ってることやってもいいよ。」って初めて言ってくれました。3年くらい前です。
そこから、お弁当・お惣菜部門の準備を始めました。テナントを探していたら、結果として店から徒歩30秒のところで5坪の物件が空くから、そこどうだということになりました。
もうちょっと第二店舗とか別の方法もあるかなと思ってたんですけど、目の前だし5坪だし、惣菜免許をとって、そこから店に運ぶ形で、相変わらず拠点は今まで通り店舗ということにしました。すごくよかったなと思います。
目が届いて、自分が意思疎通できる範囲でしか、わたしはたぶんやれないんです。
二店舗目をどうするとか、大きいビジョンを描けないから、どうしてもせまーいところになっちゃうなとは思うんですけど、今回の、厨房を作ってお弁当を出すっていうのも、目と足の届きやすい範囲になりました。
最初の難関は妹に「いいよ、お姉ちゃん、やってもいいよ。でもわたしにも夢がある。3人目の子どもが欲しい。」と言われ、「よし!その時には姉ちゃんなんとかするから」と請け負ったら、始動して3か月後くらいに3人目ができ、すぐ産休になってしまったことでした。
あらこれは大変だな、と急いで変わりに入ってくれるひとを探しました。
結果、妹のお師匠さんにあたる、リタイアされた和食の調理人の方がメインで入ってくださったり、曜日で請け負ってくれるベジのシェフの方にお願いしたり、様々なひとが厨房に関わってくれるようになりました。今は月から土の週6日で提供しています。
らる畑は冷蔵庫だから、うちから食材を持って行って、シェフが思うように作って出してくれればいい。
お客さんは色んなシェフの味が楽しめるし、シェフの皆さんは作るごはんに愛情を込めてくださる。すんごくありがたかったなと思っています。今の形で結果としてよかった。

↑夢のらるごはんオープン。

そんな夢の実現もありつつ、40を越えてからすごく楽になりましたね。なんか生きやすくなった。
自分が色々やりやすくなったのもあるし、情報やひととの距離とか、そういうのをうまくとれるようになって「楽!!!」って。
でも40越えるまでは「わたしはまだまだこんなんじゃだめだ」とか後ろめたさとかもあって、もっともちゃもちゃしてたんですけど、今はひとに何を言われようともいいやという感じです。
なんでだろう?なんか楽ですね。今すごく生きやすいです。

40歳になるまでは生きやすいというよりは…?

ひとに言われたことやひとからの評価に結構左右されたような気がします。
もちろん震災後はすごく情緒不安定だったし、この先が見えないと思っていたので。
今ももちろん全肯定はしてないけれど、それまでよりもうちょっと自分が前向きになれる感じ。
6年前「さっぽろ泊ピースウォーク」という企画で歩いたんです。
クリエイトする活動があって、仕事でもこういう風に小さくてもやっていけばいいんだなっていう実践があって、ここまでこれたのかもしれないです。

途中で転職しようと思ったことはなかったんですか?

喧嘩した時はやっぱり「もう絶対やめる!!」って感じでしたね、母と。
でも、面白くなってきたあたりから、任せてもらって、好きにやらせてもらってたということもあって、そんなに母と対立するようなこともなかったんです。
だけど、母は母で今68なので、半分引退させてあげたいですね。
実はスタッフ全員で老いていて、若いスタッフが入っていないので、パフォーマンスが悪くなってきている。
年末はすごく物が入ってきて怒涛なんですけど、「来年は?大丈夫かな!?」と感じています。
ゆるやかに世代交代しなくちゃいけないとは思うんですけど、母も父も現役で働き続けたいので、そういう意味では老いていくひとともどうやって一緒に働くかということをこれから考えなくちゃいけないし、もちろん若いひとにお給料払うためにはもうちょっと稼がないといけない、それも含めて今後の課題です。
わたしの世代で止まっちゃってるっていう問題があるんです。もっと新しく色々やれたらいいんですけど。まずは上が詰まっていますね。

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いろんな時期を経て、「生きやすくなった」というまほろさん。それは聴いていて、励みにもなりました。
仕事と家族とが密接に関わっているということもあり、仕事のお話に家族のお話もついてはなれないというのも、中々新鮮で、
ご家族への眼差しを感じます。

とうとう次回は最終回です。
お楽しみに!