橋本まほろさんの「のびのびがいい」のはなし(2/5)- 思春期の流行「ノストラダムスの大予言」

2018.11.08コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催している「働く女」。
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
今回は、第3回目のゲスト・橋本まほろさんのおはなし全5回中の2回目です。

第1回目 30周年を迎えるオーガニック・自然食品店「らる畑」
幼少期ののち、学生時代のお話です。

そういう環境にいて、反抗期はあったんですか?

ありました!反抗期ひどかったです。自分の通っていた中学校が、当時校内暴力の全盛期を先生が制圧した後だったんです。
だから先生がとても強権的な独裁政権みたくなっていて、スカートを1ミリも変えられないし、前髪もオン・ザ・まゆげだったし、腑に落ちない部分がたくさんありました。みんなで映画鑑賞したあとに誰かが口笛を吹いたら、「今、口笛吹いたやつ誰だ!」って怒られて、名乗りでるまで全員帰れないとか、トイレに落書きがあったらその落書きの犯人が名乗り出るまで、廊下に黙って出ちゃいけないとか、3年間ずっと抑圧されていました。
その時にふつふつと「なんだろう、この意味のわからないルールは」とか、「なんでこんなに自分の青春時代を押さえつけられなければならないんだろう」とか、「髪がうねっていたらなぜダメなんだ」とか考えていました。やっぱり嫌だったんです。納得できないというか。
それが最初に自分がグニャグニャっとこじれた理由じゃないかな。受験も挫折したんです。
2年生くらいまで真面目にやっていたけれど、「受験勉強ってなんだ!」って面白くなくなって、あまり勉強もしなくなり、進学を目指さない学校に行きたいと思うようになりました。後で母に聴いたら「この子大丈夫かしらって思ってた」と。
だけど正直あんまり考えてなかったんですよ、大学どうしたいとか。その時はとにかく嫌なものは嫌だった。
思春期の当時、「ノストラダムスの大予言」が一世を風靡していたんです。
バブルに浮かれていた大人たちを見ていたのに、あわわーって経済が崩壊し始めた。『沈黙の春』じゃないけど、今の世の中には限界があるんじゃないか、この社会は大丈夫なのかという不安感がありました。そこでまたこじれて暗いことに。
ノストラダムスはありだなって思ってたんです。人間がこんな生活を続けていたら崩壊するよね。人って何のために地球に存在するの?なんてことを16,7の時に夜の公園で友だちとずーっと話してましたね。

高校卒業してからは?

卒業して何になろうって全然考えてなくて、そのまま暗い気持ちを引きずってるんですよ、ずーっとずるずるって。
その頃は行き当たりばったりで父の芝居を手伝ってました。大学も受験しないと言って母を心配させて。
ちょうど父の劇団もちょっと面白かったので、照明をやってみたいなと思ったり。当時の夢を思い出すと「花火師」とか…(笑)。
あとすんごい失恋をするんです、ここで。ひとの感情って自分の思うようにならないんだというのを思い知らされました、思春期真っ盛りでぐずぐずしていました。そんなお先真っ暗だった時に父が母の店を手伝ってほしいと言ってきました。
それが母だったらわたし絶対受けなかったと思いますね。父って一緒には住んでないけど、なぜか怖い存在だったので、断れないんです。
ここで店に入っちゃうと絶対に抜けられなくなるから、よっぽどじゃない限りいやだっていうのはあったんです。
だけど、スタッフが足りないのがわかったので、しぶしぶ20歳くらいでバイトを始めました。正式にスタッフになるのはその2,3年後ですかね。
仕事をするようになって、メーカーさんや生産者さんに会うと、それはそれで面白いひとがたくさんいるので、ジメジメしていた頃よりは有機的なつながりの中で前向きに考えられるようになってきたり、この商品を売るの楽しいな、面白いなと仕事に対しての意欲に結びついてきました。それまでは食べ物に全然執着しないし食べない方だったんです。
ガリガリだったのに、食べることや食べ物への意識がだんだん変わってきて、すんごい執着するようになって、ふくよかになって。(笑)

↑小豆島のヤマヒサ

その辺りから仕事が楽しくなってやりがいを見出してきます。変わったひとが多いんですが、頑固一徹でやってきたメーカーさん、生産者さんは、生業を全うしていて、「消費者に食べさせたいんだ」っていう思いも理念も強く、素敵な大人に見えてくるんです。
この商品を伝えようという自分の使命感みたいなものがお店のコンセプトとだんだん一致してくるというのが20代後半でした。

年に何件くらいメーカーさんの訪問をするんですか?

今はもうそんなには多くないです。遠いところは年に1,2回は訪ねていこうと思ってますけど。
「らる通信」では、場所や年によっても違う畑の状況があるので、なるべくそれを伝えられるようにと思っています。
これは毎月出しているのですが、すぐ締め切りが来て辛いです。できるだけかみ砕いてわかりやすく書くことを心掛けています。
わたしが20代後半くらいから担当し始めたかな~。やっぱり仕事が面白く感じ始めた年くらいから。

――――――

じめじめした思春期を抜け出して働き出したまほろさん。
30代はいかに?
次回へ続きます。