中西まゆみさんの「豊かさにつながる手間と仕事」の話(2/5)- 大失恋ののち、出会えてよかった

2019.03.09コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催しているトークイベント「働く女」
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
11月に開催した、第6回目のゲストでテーブルコーディネーターの中西まゆみさんのおはなし全5回の2回目です。

今回は高校進学から社会人、そしてご結婚への道です。

初回も併せてご覧ください。

第1回 もじもじちゃん、アイドルになる

どうしてわたしがここの学校に

また受験で落ち込みますね。
わたしが通っていたのが進学校だったんですけど、入学式当日に担任の先生に
全員今日からプライド捨てなさい。多分ここにいるみんなは、中学校ではクラスで1番2番取ってたと思うけど、ここに来たら、1番から460番までつくから。みんなが1番2番取れるわけじゃない。だから、まず過去の栄光は捨てなさい」
って言われました。そっかって思ってあっさり捨てたんです。
あっさり捨てて、部活やって、友だちと遊んで。全然勉強しなかったから、行ける学校が無くなるわけです。
一つだけ最後に受かった学校に行ったんですけど、行きたくなかったんです。
母に、「お願いだから東京の大学に行くため浪人させて」って頼むんだけど、「浪人しないで入学してくれたら免許取らせてあげる」って言われて、じゃあ免許取らせてって。
それで、とにかく早く免許がほしかったので卒業前から免許取りに通い始めて、結局浪人せずに最後引っかかった学校に行くことにしたんです。

だけど、その時はプライドを捨てきれなくて、どうしてわたしがここの学校にいるんだろうって。短大だったんだけど、1年間はあんまり周りと馴染まずにいました。
あれだけ明るかったのにね。高校のときは朝、一番最後に登校して、一番元気よく「おはよー!」って教室に入っていく感じの子だったのね。
だけど、短大1年生のときは、すごいアンニュイな感じで壁を作ってて、クラスの友達と遊ぶより、バイトしたり校外の友達や当時の彼氏と遊んでることが多かったです。

これじゃいけないと思って2年生のときにはクラス替えもあったので、みんなと馴染んで、それからは楽しかったですね。
1年の後半でアメリカでホームステイをしたときに、バスに乗ってる知らないひと同士がいきなり会話をはじめたり、日本との違いをすごく感じて、成田に帰ってきたときに、せかせかせかせかして笑顔のない日本人がすごく嫌だったんです。
それで、自分もその一員なわけでしょ。国民性の違いを感じて、2年生のときはたくさん友だちもできて。学祭もみんなで協力してやって盛りあがりました。

コネが無いと大手に入れない

これまたずっと就職先が決まらなかったんです。大手狙いというか、英文科に行っていたので、航空会社に入りたかったんですよね。
航空会社を受けたけど、本命は全然だめで。またわたし成績悪かったんですよね。
同じクラスにいたすごい成績のよい優秀な子が、わたしの第二志望の航空会社の推薦をとったの。わたしは成績が悪いから推薦が取れなかったのに、なぜかその優秀な子がわたしを指名して推薦を譲ってくれたの。
自分が受けに行くより是非、同じクラスのわたしに譲りたいって直接就職課に言ってくれたらしくて、わたしは試験を受けに行きました。
一次は受かって、試験を受けに行ったんだけど、だめでした。

当時はバブルで、相当強力なコネがないと有名企業には入れない時代で、
「どうしてお父さんもお母さんも何のコネも持ってないのよ!」
って両親に泣きついてました。
証券会社とか受かったところはあったんだけど、気が進まなくて断っていたら、まわりはどんどん決まっていって、わたしだけ決まらない状態のまま年を越したんです。このまま就職浪人になってしまうのかしらって不安で、その頃には大手は試験も終わっているので、いいところの求人はもう来ないですよね。
どうしよう!ってなってたときに、わたしが最初に就職した会社の二次募集が1月末にあったんです。それでようやく2月に入ってから就職が決まりました。

友達と撮った昔の写真がたくさんあるんですけど、こういうどん底の時って、本当にかわいくないのね。同じように笑ってても表情が全然違うんです。
全部わたしなんだけど。抱えているものとか生活が顔に出ちゃうんだなと思いました。

就職が決まらない間はすごい不安でした。就職課から求人を紹介されても、本意じゃないので断ることを繰り返してて。
そんなこと言ってるうちにどこも行くところなくなっちゃうんじゃないかっていう不安もありましたね。

「実はすきな子ができちゃって」

就職したらすごい楽しかったです。
結構仕事を覚えるのも早かったし、明るいし社交的なので、先輩・同期含めすごい楽しくやっていて、お給料もよかったので、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲み、いい生活をさせてもらいましたね。

ずっと順調だったのに24歳のときに大失恋をしたんです。相手は会社の先輩でした。
結婚の話まで出てたんだけど、突然浮気をされたんですね。しかもその相手がわたしの同期だったのね。
社内恋愛って禁止じゃなかったけど、頑なに隠してお付き合いをしていました。
唯一その彼女にだけは気を許して相談してた相手だったんです。
「この間プロポーズみたいなことを言われたから、もしかしたらわたし結婚しちゃうかも」って。
当時彼女には彼氏がいなくて、「いいねまゆみね」ってそのときには祝福をしてくれてたのね。

今日11月27日でしょ? 11月27日、1994年の、別れ話が突然持ち上がった日です。
しばらくそこから何年か男性不信だったんですよね。
11月23日が祝日だったから会えればいいなと思って電話してもずっと留守電で、おかしいなおかしいなって思ってたら、11月27日に「実は好きな子ができちゃって、○○ちゃんなんだよね」って同期の名前を言われてどん底に。
母に結婚の話が出てるって言っちゃっていて、喜んでくれていた矢先にどーんとなって。
本当に急でしたね。直接対決じゃないけど結構色々話し合って、男のひとの涙もあのときはじめてみましたね。

そのときわたしは拒食症になるぐらい落ち込んで、彼氏は失う、信頼してた友だちには裏切られる、しかもその二人は会社の同僚。
自分の居場所がなくなっちゃうような気がして、2日くらい会社休んだかなあ。結局その二人は結婚しました。
周りのひとたちがみんな気を遣ってくれて、慰めてくれたり本当に温かかった。
会社も辞めたいと思ったけど、会社まで辞めちゃったら一変に全部失うことになると思って、がんばって辞めずに。

信頼できることが一番

あの時代ってクリスマスイブに例えて「24歳で結婚しないと旬が過ぎて男の人相手にしてくれなくなるよ」っていう時代だったけど、わたしは29歳で結婚できました。
失恋直後、25,6歳のころの写真が本当にかわいくないんですよ。
実はそのころ小室哲哉プロデュースの歌手を一般募集してたのね。
周りから推薦されて、テープに唄入れて写真撮って送るんだけど、まああの顔じゃ無理ですね、本当に。不幸が出てる顔でしょ。当然落ちるんですけどね。なので今ここにいるんですけど。

色々ありながら最後に出会ったのが今の夫です。飲み会で出会いました。
それまでは背が高くて、かっこいいひとがよかったんですけど、夫と結婚したときは信頼できるところが一番の決め手でした。
絶対この人は周りのひとのことを裏切らない、だからわたしのことも絶対裏切らないなっていうくらい誠実なひとというか。最後はそこかな。

 

わたし「恋愛」ってうまいこと言うなって思うけどね、恋が愛に変わる、そして「愛情」っていうけど、愛は情に変わっていく。その順番って全て正しいなってすごく思っていて。
今の夫と出会えて本当に良かったと思っています。

 

<つづく>