おおまちかおりさんの「世界共通!食べること」のはなし(2/5)- 親に給与明細を見せられる中2時代

2018.09.04コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催している「働く女」。女性の多様なキャリアについて実際にお話を聴く会です。

その第2回目のゲスト・おおまちかおりさんが実際にお話しされたことの連載2回目です!

第1回 スローフードは「美味しい・正しい・きれい」

 

父親から給与明細を見せられる中学2年生

高校から親と離れて札幌に行こうと決めていたので、親とすごく戦いました。親が転勤族だからといっても、高校生で親戚もいない町に取り残されたら大変じゃないですか(笑)。

小・中学校も大変だと思うんだけど、高校の転校ってなかなか大変だなって思って、親戚も札幌に多かったので高校から札幌に来ちゃおうと思っていました。

でも、中2のときに「お父さん、わたし札幌の高校に行くから」と言ったら「は?」と言われて、ある日2年間分の父親の給与明細をバーっと並べられて、

「お前ここの数字見ろ。どういう内訳か説明してやる。これでお前が札幌に行くっていうことは、ここからまた10万かかるってことなんだぞ。行けると思ってるのか!」って。

親の同僚で息子2人を札幌の高校に出したおじさんがいて、「おじさ~ん、わたしも行けるよね!?おじさん、お父さんに言って!」とか「何で行けたの?」とか聞いて、周りから攻めて行きました。

学校の先生も「地域の学校に行っても、親が転勤しちゃったら大変だから、札幌に親戚がいるなら札幌に出した方がいいですよ」と言ってくれて札幌行きが決まりました。

もう、当時はわくわくだよね。ちょっと田舎で勉強できただけで、札幌来たらヒュンと下がっちゃいましたけどね。「みんなすごいな~」と思いました。札幌の高校に進学して、今でも付き合いのある友だちにも出会って楽しく過ごしました。

ウロウロした2,30代

20代から30代前半くらいが低迷期でウロウロ、「わたし何やってるんだろう」「どっちの方向進もうかな」とすごく思っていました。

やっぱり日本って学校歴とか学校卒歴とか見られることが多いじゃない?

わたしのときって第二次ベビーブームだから人数が多くて、高校も大学も受験が厳しくて、大学に通っている間にバブルがはじけたし(笑)。1年終わりのときにはじけたのかな?

よく周りのひとと話すんだけど、わたしたちサバイバルイヤーだよねって(笑)。

いつも人数が多いから競争・競争・競争で。いっぱいある大学の中で、この大学行くんだったらこっちの短大に行った方が少しレベルも高いしいいよねって考えで短大の英文科に入ったんだけど、社会に出ると短大卒よりも大卒。

どこの大学でもいいから「大卒」を求められるんですよね。こんなに四大卒という学歴に価値があって、専門も短大もどこも一緒ということにびっくりしちゃいました。

当時は学力低いと思っていた大学も、年代変われば学力が上がってきている。アメリカもなんだかんだ言って履歴書大事なんですけど、日本はしがらみが強いなと思いましたね。

高校のときに本当は交換留学で1年海外に行きたかったんだけど、さすがに給料明細見せられて下宿で2年間、しかも最後の1年はアパート借りて住んでいて、その中でさらに1年留学させてといったら「高校では我慢してくれ」とさすがにお断りされて、短大に入ってからとりあえず1か月、延長で3か月だけ行きました。

短大のときは学校に行かない子で、ああ、小・中学校のときも学校行ってないんですよね、休めるマックス休んでる。(笑)

親に「あんた今日学校行くのかい!?」「ああ、行ってきます」って、田舎だからちょっと自転車で海の方まで行ってたり、放浪癖があるのかな?

短大のときもアルバイトして10万貯まったらリュック1つでふわっとアジアに行ったりしていました。学生証あると海外すっごいいいよね。学生たちも是非行って!

 

 

 

ヨーロッパに行ったら美術館・博物館ほぼ無料だし、ミュージカルやバレエだって桟敷席みたいなやっすい席、学生証があれば10ドルとかで見れるよ。

ヨーロッパは陸続きだから一度いったらぐるーっと色々2か月周れて、当時はパスポートにスタンプ貯めるのが趣味みたいでしたね。山登りのピークハンターのようでした。

 

でもただ旅行していただけだから、どういう仕事をしていけばいいかなと考えていました。

バイトは色々してた、一番お金になったのは家庭教師、塾の先生、歯科助手。でも歯科助手は犯罪になると思って怖くなって辞めました。すごくバイト代が高かったんです。

銀歯の練りものとか、資格もないわたしがやっていいのかな~!?って。あとは飲食店、イベントのバイトもしていました。

 

 

続く。