橋本まほろさんの「のびのびがいい」のはなし(1/5)- 30周年を迎えるオーガニック・自然食品店「らる畑」

2018.11.03コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催している「働く女」
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。

今回は、第3回目のゲスト・橋本まほろさんのおはなし全5回中の1回目です。

30周年を迎えるオーガニック・自然食品店「らる畑」

橋本まほろと申します。
円山にあるオーガニック・自然食品店「らる畑」という店のスタッフをしています。役割は広報・商品企画で、通信を作ったり、新商品を探したり、掃除、雑用など何でもします。らる畑は母が創業者、オーナーで、わたしは二代目になります。
今年の10月で店舗が30周年を迎えます。店舗は20坪ちょっとの広さで、商品数は2,000あるかな。
商品を選ぶ基準は野菜の場合は国産のオーガニック、有機、もしくは農薬・化学肥料不使用、理由があって農薬を使った場合のみ回数を表示、というように野菜に関しては明確にしています。
加工品は伝統的に時間をかけて作られた天然醸造のものや、合成添加物を一切使用していないもの、豆を持ち込んで作ってもらったオリジナルのお豆腐や納豆、お肉類は放し飼いで育つことや、抗生物質を使っていないなど厳密に選んでいます。店舗スタート当初は商品数がすごく少なかったそうです。
そこから徐々に商品を選んで増えていき、小さいお店なので今はパンパン(笑)なのですが、商品を次から次へと入れ替えるのではなくて、製造メーカーを支える意味でも長くコンスタントに買ってもらえることをポリシーに「美味しいもの」を大切に選んでいます。
店舗以外に配達と移動販売をしています。らる畑は1986年に母が車の免許を取ってから移動販売で独立したのが始まりで、その頃からのお客さんは減ってはいますが、今でも残っていらっしゃるのでまだ続けています。
さらに、去年の1月、店舗から30秒離れた場所に厨房を作り「らるごはん」というお弁当とお惣菜部門を始めました。スタッフは店舗が5.5人。ごはんのシェフが日替わりで3人入ってくれています。

↑らるごはん

これがお店の大体です。わたし自身は母の手伝いとして20歳くらいにお店に入りました。人生の半分いて結構ショック…。
これまで色んな職を見て来たというよりは、すごく狭い家庭内の自転車操業を、いわゆる二代目として継ぎながらやっているという状況で、自身としては外の世界をあまりわかっていない、お店の中だけのことをやってきたという感じがあります。

最初に希望・絶望曲線を描いていただきました。まほろさんは今何歳ですか?

今42です。

お生まれはどちらですか?

生まれだけは東京の高円寺です。3か月くらいで札幌に来ました。

ご両親のご出身はどちらですか?

2人とも親が転勤族みたいな感じでした。札幌で出会っているんですけど、それぞれの生まれは鹿児島だったり東京だったりします。

小・中・高と札幌ですか?

小・中・高、札幌です!わたしの家はちょっと変わっていて、父親が芝居をやっているんです。札幌で劇団を立ち上げるために札幌に戻ってきました。当時母は専業主婦でしたが、父の生活は芝居中心で、ほぼワンオペ育児。母としては鬱屈がたまっていたと思うのですが、わたしは格好良い芝居をやっていて映画に連れて行ってくれる父も好きでした。小学校3年生の頃母が「父親とはやってられない!」と離婚します。
両親は学生運動全盛期の全共闘世代で、2人が離婚する頃は、レイチェルカーソンの『沈黙の春』や有吉佐和子の『複合汚染』の影響もあり、日本全体で環境問題について関心を持っていたひとたちが「オーガニックをやる」とか「流通を立ち上げる」とか「消費者とつながろう」とか、そういう運動が起こってきた時だったんです。今はなくなってしまいましたがオーガニック八百屋の先駆けと言われる「ゆめや」さんで2人とも勤めていていました。離婚してからも父と母はつかず離れずみたいなところがあって、一緒には暮らせないけど、ずっと番頭さんみたいなところに父はいて、さっき言ったらる畑のスタッフの5.5人の半人のところは父(笑)。いつも肝心なところを握っていて、母がらる畑を立ち上げる時にも手伝ってくれていていました。
1986年にチェルノブイリの原発事故が起こり、母と同世代のお母さんたちが立ち上がり安全な食べ物への関心が高まりました。母の移動販売だけでは回りきれず、それで店舗を持つという流れになって1989年に店舗を開業しました。それからずっとこの場所ですね。こだわりがあるとかじゃなくて、いついちゃったような。考えてみたら開業したのは母が40歳手前で、今のわたしよりもちょっと若い頃に店舗をオープンしていて、がんばっていたんだなろうなと思います。
父はといえば、当時も変わらずセリフをめっちゃ早口で言って、バタバタ動きまわるエモーショナルなアングラ芝居をしていました。…おこられるかな(笑)!?わたしの小さい時の印象はそうだったんです。それを無条件に見せられる。周りには格好良い大人たちが本当にぶつかり合いながら芝居をやっているし、かたや農家の方は農家の方で、生き様が独特で、環境のことを考えて一人でもやってやるぜみたいなところで、すごく変わったひとたちというか、

↑まほろさんのお父さまの「劇団 極」

どっちも表現者ですよね。

そう、アクの強い大人が多かったです。そこにゴロンと放り込まれて、大人たちは会議をしてる中、子どもたちは子どもたちで遊んでいました。当時、共同保育所とかも作っているんです。さっきも出て来た「ゆめや」さんとか、「これからや」のゆかさんとか。子育てもしつつ、自分たちの社会活動ができるコミュニティを作っていた。独特な時代を小学生の頃過ごしました。変わった大人たちに囲まれていたなと思いますね。

 

次回はそんな変わった環境で生まれ育ったまほろさんの学生時代の話です!

「らる畑さんの30周年大感謝祭」イベントが11/25(日)にオノベカで開催されます。
ぜひ足をお運びください◎