渡邉真琴さんの「信じ切って、気持ちをかける」の話(3/5) – 魂を削って

2019.03.30コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催していたトークイベント「働く女」
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
2月に開催した、最終回ゲストで株式会社Mako教育研究所 代表取締役の渡邉真琴さんのおはなし全5回の3回目です。
今回は新卒で入った会社での数年間のおはなしです!

前回までの分も併せてご覧ください。

第1回 ハイジ時代から暗黒時代へ

第2回 自分を試したい

一件一件「こんにちは」

そのまま入社し、配属は本社になりました。本社は名古屋だったので、名古屋スタートで働き始めます。
いやあ、楽しかったの。最初はちょっとさみしかったかもしれないんだけど、北海道を出た解放感もあって楽しくて。
仕事は本当に本当に忙しかったです。中学生担当だったので、仕事は夜が基本なんです。
最初は車がもらえないので、地図を持って。スタート地点近くで下ろされて、ゼンリンのコピーした地図を見ながら、一件一件「こんにちは~」って行くんです。突撃。すごいでしょ。
それで歩いて回って、犬に追い掛け回されたりとか。今となっては笑えるんだけど。
当時同期は21人いたのかな?みんなよかったんですよね、関係も。バカなこと言いながら、「みんなもがんばってるからよしがんばろう」みたいな感じで。
でも、最初は全然契約が取れなくて、初オーダーをもらったのが、最後から3番目くらいだったと思うんです。
本当に粋がって、自分を試したいって出てきたけど、全然できないって泣きながら歩くようなときもあったんですけど、初オーダーが決まってからはポンポンポンといって、営業成績はずっと1番か2番でした。
その時、本当に色んなお家に行かせてもらいました。北海道にはないようなお家もいっぱいあるじゃないですか。
本当に失礼だけど、本当に人住んでるんですかみたいなところに住まわれていたりとか。
それとは対極に大豪邸もあったし、面白かった、とにかく色んなお家に行きました。

「警察呼ぶぞ」

何もないときは3,40件1日に回ります。
お昼に会社出て、2,3時からピンポン初めて、1回目は「みなさんにお配りものしてます。中にアンケートが入っているので、お子さんが返ってこられる時間にまた取りに伺ってよろしいですか?」とチラシをお渡しします。
当時は玄関を開けてもいい、ぎりぎりな世界だったので、「お子さん帰ってくる時間に取りに来てよろしいですか?」というよりも「取りに来ますね!」って言って帰るんです。
聞いちゃだめなんです。ゴリゴリの営業です。
そしたら、昼間は鎖につながれてた犬が、放たれてるんですよね。夜、お父さんが出てきて、「なんだ、勝手にひとの家に」ということもあったし、「警察呼ぶぞ」もありました。
そういう応酬も先輩方に教えてもらったり、自分も現場で感じながら対応しました。
1年過ぎてだんだん慣れてくると、要領を得てくるので、アスリートと一緒で気持ちだなと思い始めます。
「7時からでも絶対3件とれる。3件、3件、絶対3件、今日は絶対3件」、運転しながら「3件3件3件」って唱えて。そういう時はちゃんと3件行って、3件決まるんです。
そういうことを経験し、やっぱりメンタルだということも腑に落ちましたね。修行の訪問販売でした。
最初はテストを売って歩くんです。そのあと、「テストの診断ができたので、お持ちして、アドバイスさせていただきます。当社も教材を取り扱っているので、教材のご説明もよかったらきいてください」っていうアポ取りをするチームがいます。
そして最後に、アポが入ったところに、教材を持って行くクローザーという、クロージングをかけに行く部があって、2年目からはそっちだったので、ピンポンではなく、今度は決まったお家に行っていました。
土日は2,3件。本当に魂を削ってしゃべらないとならない。
わたしが担当していたのは高校生なんですけど、かなりねじれてるんです、親子関係が。
最後の最後にクロージングになると、「どうせあなたやらないでしょ、今まであなたにああやってこうやって、全部だめだったじゃない」って始まるんです。子どもは、何も言えなくなる子もいれば、ガーっと言える子もいるし、色々なんですけど、そこの橋渡しをするのが仕事だと思っていました。
そういうのを見ていると、いつからこうやってねじれるんだろうっていう気持ちになっていき、素敵なお家に訪問したときには、どういう子育てしてたんですかって聞くようになっていって、そこから幼児期がキーなんだなと気づき始めました。

ただの営業は簡単

ただ、3年目、ハードワークだったんですよね。
高校生のお家に行くので、7,8時スタートなんです。早い営業マンはそこから2時間半くらいできっちり売って、帰ってくるんだけれど、わたしは色んな話をしちゃうので。売るだけの営業って正直簡単で、売るだけならどうでもよくて、そのあと使ってもらえるように話をしたかったから、時間がかかるんですよね。
子どもには、「お母さんがどうして今こうやって反対してるかわかるかい?」って説教するし、お母さんにも、「お母さん、お子さんが今5歳だったら同じように言いますか」って言うの。偉そうに、20代そこそこでね。
お父さんがいたらお父さんにも、「お父さん、生意気いいますが聞いてもらっていいですか」って。気持ちの橋渡しをしたかったんです。
勤務地は名古屋から関東に変わり、結構訪問も遠くまで行ってたんですよね。
19,20時スタートでご訪問なので(コンプライアンスはしっかりした会社でしたので、21時過ぎると会社からお客様宅にご連絡が入ります)事務所に帰るのに2時間くらいかかって、日をまたいでの帰社もあったりなかったり、そこから次の日の営業準備をするので3,4時とかに帰宅することもありました。今なら超マズいんでしょうね。
でも若かったので、「今日はどうだった、ああだった」ってがやがやがやがやしながらやっていたので楽しかったんですよね。
楽しかったんだけど、しんどくなってきて、お客さんと話してるときに、泣こうと思っていないのに涙が出てきて、「これは限界なんだ」と思って、父に話をしました。
そしたら父は、「スポンジも吸いすぎたらあとはたれ落ちるだけなんだから、もう、一度帰ってきなさい。」と言ってくれました。
そのとき初めて、父ってすごいって。でも、父から言われた言葉で覚えているのはそれだけですね(笑)。それで、北海道に戻ってきました。

「仕事をするな」

北海道に戻ってきてすぐ就職をして、そこで知り合った人と結婚しました。
7歳上の方で、多趣味でした。わたしはどちらかというとずっと仕事ばっかりしていたので、趣味で遊ぶという世界を知らなくて、楽しくてすてきだなと思っていました。
でも、彼が人生を謳歌、わたしとじゃつまらないんじゃないかな、もう別れようかなってそう思っていた時に、「結婚しよう」と言われて、別れようと思っていたのにどうしようと悩みましたが、結婚しました。それが25歳のとき。
楽しかったんです。が、彼は子どもも家もいらないっていうひとでした。わたしは子どもが欲しいと言ったけど、「要らない、親になる自信がない」と。
わたしは共通の、何か目指すものが欲しくて、同じ方向を向いていたかったんです。
一番の問題は、彼はわたしに「仕事をするな、家にいてほしい」と言ったの。…家にいれないじゃないですか、わたしは(笑)。
ちょこちょこバイトしたりはしたんですけど、家にいるのがしんどくて、彼の要望を無視して正規で働くようになり、当然ですよね、だんだん彼と合わなくなっていきました。
嫌いじゃない。けど、わたしはわたしの人生を生きていない
結局別れを選びました。30歳でした。でも、自己嫌悪にドーンと落ちるんですね。

<続く>
仕事を辞め、Uターン、結婚、離婚を経験した真琴さん。
まだ何かあるのか!?続きます。