福本亜矢子さんの「自分はダメなんだと思っていたけど」の話(1/5)- わたし何やってるんだろう

2019.01.19コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催しているトークイベント「働く女」
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
第5回目のゲストでハニー講師の福本亜矢子さんのおはなし全5回の初回です。

プロフィール

福本 亜矢子

はちみつ美容健康アドバイザー

道内初の非加熱はちみつを使用したネイル&フェイシャルトリートメントサロン「Salon de Ayako」を主宰。
施術をしながらハチミツにおける美容効果をお客様に紹介するほか、
ハニー講師として、道内各地でハチミツ美容と健康を講座や講演の中でお伝えてしています。

http://salon-de-ayako.com

3人兄弟のおてんば娘

札幌の隣の石狩市花川で生まれました。3人兄弟で、3歳ずつ離れた兄と弟がいて、わたしは真ん中で女1人です。男の子に囲まれていたので、お人形で遊ぶというよりも、ブロックで遊んだり、兄たちのお友達の中でわいわい生活していました。男の子と遊ぶことが多かったので、女の子らしくスカートを履くという感じではなかったです。

今はネイルとフェイシャルの美容サロンをやっていますけど、実はおてんば娘でした。どちらかというと男の子っぽい性格だったと思います。

高校卒業までは、仕事も自分のやりたいことができるんじゃないかと思っていました。高校時代は3つの進路を思い描いていました。保育士になりたいと漠然と思っていたのと、音楽がすきなので、音楽に携わる仕事をしたいというのと、あともう一つ、英語がすきだったので、英語関係の何かができないかなと。

進学か就職か、今後どういう風に生きていくかを色々と考えたときに、一番に考えていたのは保育士になることだったんですけど、保育の専門学校や短大に行って、それにならなきゃいけないと思うと、「本当になりたいのかな?」と考えたんです。もしならなかったらどうしようと思って、保育士の道は決めきれずに辞めたんです。

音楽関係は現実的じゃなくて、じゃあ英語関係の何かがいいのかなと思ったんです。それで、英語の学科がある大学に進みました。

何になりたいかわからなかった

日本でしか生活してこなかったので、世界は広いと思っていたんですけど、大学2年生、19のときにアメリカに5か月間行って、世界は結構狭いということもわかったんです。

それまでは海外は映画の中の世界だと思っていたのが、実際に日常生活をすることで、結構普通なんだなと感じたんです。だけど、世界各国のひとたちとお会いすることができて、世界は楽しいなと希望に満ちていました。

大学3年生から就職活動が始まって、そのときは何になりたいかわからなかったんです。とりあえず流れに乗って就職活動をして、合同企業説明会にも行きましたけど、自分が何をしたいかわからなかったですよ。

たまたま採用して頂いた会社に就職しました。接客業がすきだということはわかっていたので、事務系よりもひとと関わりのあるお仕事がしたいなと思って、Aという企業に新卒で入りました。

そのころ、ちょうど配属になった店舗近くに競合するお店ができたんです。お客さんはみんな新しいところに行きますよね。わたしがいた店舗には「慣れたところ」に、と思ってかご年配の方が多く来ていたんですけど、結局潰れてしまったんです。

わたし何やってるんだろう

最初に配属されたのは婦人服、そのあとに化粧品売り場だったんですけど、当時、本州から気鋭の企業が北海道に上陸してきた頃で、そういう所の方が安いんですよね。わたしがいた店舗はそんなに安くないから、お客さんもわざわざそこで買い物しないんですよ。

売上も全然なくて、18時以降になるとお客さんも来ないんです。わたしは21時までお店をやっていたから、毎日3時間くらい1人になる時間があったんです。パートさんも16時くらいにはいなくなるし、そうなるとよからぬことを考えるというか。「わたし何やってるんだろう」って。

しかも化粧品売り場って1階が多くて、冬になると入り口から強い風が吹いて寒いんですよね。野菜売り場も近いし。寒い、お客さん来ない、売上ない、バイヤーに怒られる、「わたし何なんだろう」って、1人でいると。

店舗営業は夜9時に終わるから、片付けたりなんだりしてお店を出られるのは10時半くらいで、家に帰ったら大体11時半くらい、遅いですよね。自分のすきなことができる時間がないんです。友だちももう飲んで帰ってる時間だし、だんだん嫌になっちゃって。そのとき23,4とか。よくパートさんにも「あんたまだ若いのに大丈夫かい?ちゃんと遊んでるのかい?」って心配されてましたね。

しかもそのとき尊敬できる上司がいなかったんです。仲は良かったんですけど、やる気のないひとが多かったんです。直属の上司もネガティブで、「俺は主任になんてなりたくなかった」とか、なんでわたしに言うんだろうってこと言ってくるんですよ。

100人位いた同期の、売れる店舗にいるひとにはボーナスが出るんですよ。わたしがいたところは潰れるようなところだったので、ボーナスも他より出なくて。他の同期とやってることは一緒だし、わたしだってもっともっと売っていきたいけど状況が状況だっただけに、納得できなくて、どんどん楽しくなくなっていきました。

それで、勤務していた店舗が閉店しますというとき、わたしは嬉しかったんです。社員だったので本当は異動ができたんですけど、異動希望も出さずに、2年2か月勤めて辞めました。

<つづく>

やりがいが少なく、何をやっているのかわからなくなってしまった福本さん。

最初の会社を辞めたあとはどうなったのか?次回に続きます!

お知らせ

福本さんが、三越札幌で「セルフネイルケアと&はちみつ入りキューティクルオイル作り」の講座を行います。

興味のある方は是非!お申込みは1/24までです!