山西言枝さんの「ずっとなりたかった職業じゃなくても」のはなし(1/5)- 何やってもだめなんだな

2018.12.20コラム

5月から毎月最終火曜日にオノベカにて開催している「働く女」。
昔は結婚して家事をし、子どもを育てることが女性の生きる道だとされていましたが、今では女性の生き方も多様化しています。
そんな女性のキャリアについて実際に諸先輩方にお話を聴きたい!と思い始めた会です。
ゲストはテレフォンショッキング形式で決まります。
今回から、第4回目のゲストで管理栄養士の山西言枝さんのおはなし全5回の初回のはじまりです。

 

「何であと2点が取れないの?」

 

生まれ育ちは札幌です。兄弟は3人で、下に弟と妹がいます。「人生のモテ期は幼稚園だったね」と言われるくらい、幼稚園のときが一番モテました。当時、彼氏がいたけど毎日違う男の子と帰ってました。だけど、すごく身体が弱かったので、ほとんど毎日病院に行っていました。熱を出してばかりで、扁桃腺がすぐ腫れてたんです。

 

人生のピークは小2で、習字で賞を取ったり、ピアノでも全国大会の一歩手前まで行ったりしていました。だけど、最後の音を外してしまって、全国大会には行けなかったんです。審査員の点数を見せられるんだけど、二重線が引いてあって、あからさまに最後の音で点数を引かれたというのがわかってすごくショックでした。わたしはツメが甘いんだなあって思いました。

 

小学校1年生のときに、「あなたは人の何十倍も努力しないと人並みにならない」とか、「他人に厳しくて自分に甘い」、「人に振り回される」とずっと言われていたけど、小2で「いけんじゃん!」って思ってたところで最後の音を間違える。「やっぱりだめなんだ」と確認をしましたね。

 

幼稚園のとき、あまりにも体調が悪すぎて扁桃腺を切っているんですよね。今考えると、母親が野菜が嫌いで、いつも肉ばかり食べさせられてたからじゃないかなって思ってますけど。扁桃腺を切るまでは貧弱でか弱かったのに、切ってからどんどん太りだしたんです。
思春期にぷくぷくしてるのってあまり自信につながらないですね。

 

中学校に上がるときに、本当に勉強ができなくて、塾2か所と英語だけの塾を掛け持ちさせられるようになりました。それだけやってれば人並みにもなります。お母さんはすごい教育ママ。漢字のテストを家で間違えたら、罵声を浴びせられてましたね。母方の祖父がすっごい暴れん坊だったんです。お母さんは「自分のお父さんみたいにはならない」って言ってるけど、(お母さんの妹の)おばさんからしてみれば「あれは言葉の暴力だから一緒のことやってる」と。でも、おばさんは一緒に住んでるわけではないし、たまに来るだけだから、日常は変わりありませんでしたね。お母さんもわたしも長女で、似ていたところもあったんでしょうね。お姉ちゃんであるわたしが怒られているのを見て妹と弟は育つから(笑)、習得してましたね。

 

中学校のときは軟式テニスをやってました。顧問の先生と折り合いが悪くなって中2で辞めちゃったんです。そもそも塾も掛け持ちしていて、元々器用でもないから部活と塾と学校の両立ができなかったんです。相変わらず勉強は難航していましたし、時間はなかったですね。

 

わたしの学年だけすごい頭がよかったんですよ。進学先は医療系が多くて、医者になった子もいるし、東京の大学に行ったひとばかりで、そんな中で偏差値合わせられるわけがなくない?(笑)「そもそも人一倍努力しなきゃいけないって言われてるのに、無理じゃん」とも思ってたんですけど、何とか偏差値を上げようと思ってました。

 

中2のときにテストで98点を取ったんです。それなのに母に「何で2点取れなかったんだ!」って言われたんです。ケアレスミスだったんでしょうけど、「何やってもだめなんだな、こんなの辞めてやる!」と、やさぐれだしました。勉強も部活もやめて。

 

 

やさぐれてしまった少女・言枝さんはその後どんな人生を歩んでいくのでしょうか?

次回以降、お楽しみに!